言語化が苦手
僕は言語化が苦手です。
言語化がうますぎる話の面白い友人と無意識に比べている節もある。それでもやっぱり口下手で、伝えたいことはほとんどパケットロスしてしまう。
言語化が苦手だと、損することや後悔する場面が多い。あのとき、ああ言ってれば、場が盛り上がったのに。。。とか。面白い人だと思ってもらえたのに。
中学の国語の授業で、即興で詩を作る授業があった。
当時、本を読むのは好きだった。電子辞書で調べもののふりをして、近代文学の有名どころは一通り読んだ。でも、詩はよく分からなかった。
それっぽい言葉をそれっぽく並べて、何を言っているか分からない。わざわざ国語の授業の題材にして文脈を読み取る作業をしないと、理解できない。その苦労のわりに、ありきたりなメッセージでバカバカしい、というのが印象だった。
だから、僕もその型にはめて詩を作った。
「悲しい人ばかりの世の中だから、僕が泣いてても誰も気づかないし慰めてくれないね」という内容を、「雨の世界では、傘がないと、やさしさに触れらない」みたいな詩にした。
ほんで、先生に見せにいって合格をもらえば自習できるって流れだった。そしたら、「意味が分からない」と言われてやり直し。
あのとき、自分では渾身の出来だと思ってたから、やり直しになったのは意外だったけど、「こんなものか」とも思った。やり直しで書いた詩は覚えてないけど、バカでも分かる言葉を並べた。
言語化っていうのは、自分の感じたことを100%伝えるための技術らしい。
他人と関わりを最小限にして、誰にも理解・解釈されることなく生きていきたい自分には必要ない、と大学生くらいまで考えていた。
世の中には言語化できないけど、確かに感動するものがある。
毎週読んでた『セッちゃん』って漫画。大島智子つながりで、宇宙ネコ子の『Like a Raspberry』。映画『台北暮色』。
こういう作品の魅力は、言葉にして伝えようと試行錯誤すれば、伝えられるのかもしれない。
でも、僕の感じた魅力は、僕自身の物語って文脈がないと理解できない。それぞれの記憶が散らばっていて、そのつながりがあまりにも個人的。
…かといって、言語化アンチというわけではなくて、できるようになりたいんです。
大学で柳瀬博一先生の講義をうけて、衝撃を受けた。すべての聞き手が先生の話の魅力に引き込まれる。
大学を卒業した後も、たまに柳瀬先生のpodcastを聴いては、こんな大人になりたいと思ってる。
大学生のときに気まぐれで投稿した詩が佳作をとって、結局嬉しかった。