要らないものばかりの部屋で暮らしたい/kiss the gambler『クワゴマダラヒトリ』
kiss the gamblerの新曲『クワゴマダラヒトリ』にハマってる。
曲名をみた瞬間「クワゴマダラが一人?」と勘違いしたけど、ジャケ写をみたら芋虫と分かる親切さ。
「原価は一番安いと思うけど飲みたくなるのはいつでもアイスティー」
昨年、友人に連れられてコメダ珈琲デビューを果たしたんだけど、噂ほどのお得感が無くて残念だった。ホットミルクコーヒー600円って、平気で1Lの倍はするやん。。。
それでも、家でいれるミルクコーヒーよりも美味しいんよな。
高級感のある赤いソファと綺麗な木目調の店内の雰囲気の良さに惑わされてる。なにより、重みのあるカップが良い。「ウェッジウッドで飲むと味が変わる」なんて気取ってた旧友も、あながち間違っていなかった。
「クワゴマダラヒトリ、今日も一人でいるかな。Y2Kヘアスタイルの元ネタなんでしょ。」
そうなの!?聴いた瞬間、レナウンのCMを思い出した。たしかに、クワゴマダラヒトリみたいだ。
かなふぁんさんが小網代の森で見つけた芋虫が、この曲のモチーフらしい。ここで柳瀬博一先生に繋がるとは!!
「クワゴマダラ・ヒ・トリ」の歌い方が好きやわ~。リズムに合わせるために少し早口になる、ありのままの不器用さを残すのが、かなふぁんさんらしい。
「断捨離出来たらまた集めちゃお。」
この10年、ミニマリストとして生きてきた。実家の部屋はベッドと本棚、机だけ。前職では、敷布団とちゃぶ台だけで生活していた。食べ物はHuel、服は買わない、休日は音楽を聴く、人間関係も定期的にリセット。いつでも死ねるように何もない部屋で生きている。
モノがないと気持ちがニュートラルになるから良い。
心療内科の効かない処方薬や、不自然に同情してくれるカウンセリングでは、強迫症を治すことはできない。セロトニンとか、テストステロンとか確証のない知恵で語るテキトーな奴らに付き合うくらいなら、「不安の種になる情報を取り除くために、なにも持たない」を実践した。
(仕事のせいで)生活のテンポが速すぎるのも相まって、寛解しつつある。
生活に余裕が生まれて、ようやく人生を楽しむ心持ちになった。ミニマルな生活は楽しくないから。仮住まいの感覚は、今を無気力に生きる言い訳になってしまう。
コーヒーカップはダイソーよりウェッジウッドだし、食器用洗剤はJOYよりもSARAYAじゃなきゃダメ。部屋には要らないものが必要で、ぬいぐるみと植物のためにカーテンを開けて換気する生活でなきゃ。
「消費と所有」が毎日を楽しむコツってことに、一周回ってたどり着いた。
「まとうオーラの源ふやそう。知識や知恵はあればあるほど、価値ある人間に見えるのにな。」
大学生の頃、生成AIやファスト映画みたいな、簡単に要点だけを摂取できるコンテンツが流行っていた。
哲学、宗教、映画、文学、絵画、、、みたいな、大人のドレスコード的教養は抽象的で分かりにくい。難しいことを考えるのが苦手な僕は、ファスト教養をついつい利用してしまう。
本来は体験の中で自ら獲得するはずの思考が、他人のまとめた一言を読んで納得した気になる。あろうことか、そんなコスパのいい理解が、世の中で通用してしまう。
僕みたいな人たちがファスト教養を消費してしまうのは、教養がアクセサリーになってるからだと思う。価値ある人間だと思われるために勉強したいけど、教養はムダだから、無くても生きていけるから、時間を費やすモチベーションが湧かない。タイパよく摂取する。
そんな風に知的好奇心を失っていた頃に、柳瀬先生のメディア論の講義を受けた。
講義内容はマスメディアの時代から一億総メディア時代への変遷、理系とメディアの関わりなど。文字にすると陳腐だけど、先生の語り口と講義を肉付けするサイドストーリーが、学生にノスタルジーと共感を与える。「僕が求めていた教養はこれだ!」と感動した。
教養って会話を面白くするためのコンテクストの拡張だ。共有されていない文脈のまま知識だけ押し付けても、退屈なのは当然だよな。
柳瀬先生の面白さを共有したいから、先生の出演しているpodcastをぜひ聴いてほしい。